エッセイ【卒婚①・・『卒婚』した理由】

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人として、妻として 夫婦のありかたについて相談されたり

人として、妻として、親として どう生きるべきか

仕事や生きがいや経済(家計のやりくり)について

よく相談をうける。

 

私の選択、生き方が

人として 妻として 親として

どう生きてゆくことがベストなのか

このブログを読まれた方の

自問自答する刺激剤になればと

『卒婚』について 書いてみる事にした。

 

『卒婚』を決心したのは、1年前の10月。

そして 『卒婚』したのは 今年の3月だ。

『卒婚』とは、離婚しないで夫婦がお互い別に暮らす夫婦のことを言う。

違う言い方をすれば『別居』だ。

子供が巣立ち 家をはなれ

自立した生活をはじめ

夫婦だけの生活にもどったとき

 

夫婦がどう向き合い、愛を育みあうのか

残りの人生を女性として、人間として

どう生きるべきか

どの女性も真剣に悩み考えるのが

50代なのだろう・・。

 

私も、55歳という年を迎え

残りの人生をどう生きるのか

自問自答の日々が続いた。

 

60歳まで

自分の可能性を信じて まだまだできる限りの

チャレンジをしたい。

 

私たち夫婦には 老いのすみかとして

5年前に建てた小さな家がある。

 

子供が巣立った今

「今の 広い賃貸の家を出て

都心の老いの住処で 二人で暮らそう」という夫。

「無駄なお金は使わず

老後の為に 貯蓄したい」という夫。

 

私にとっては 今住んでいる賃貸の家は

わたしそのもので

23年間も住み続け

自分がデザインして作ったオリジナル家具。

心にとめて集めた お気に入りの和食器。

講演やイベントで使用する教材などや

講演やイベントの準備で使う、プリンターやパソコンなど

小さな老いの住処に、とうてい入りきらない荷物がそこにある。

 

小さい老いの住処に住むためには

ほとんど 全部と言っていいほど

今もっているもの

処分しなければならない。

そう考えるだけで

自分の歴史や思い出の数々を処分しなくてはいけないのかと

悲しい気持ちに押しつぶされて

体が 震えんばかりの 涙がこぼれる落ち

声を出して泣いた。

 

この家(賃貸)に住みたければ

自分で家賃を払うように告げられたのは

昨年の夏頃、夫からは

昨年(H27)中に答えを出すように言われた。

 

60歳まで

自分の可能性を信じて できる限りの

チャレンジをしたい。

23年間も住み続けた家。

自分がデザインして作ったオリジナル家具。

お気に入りの 和食器や洋食器。

講演やイベントで使用する教材などなど

私の愛してきた品々を 全て 処分などできない。

 

自分の歴史や思い出の数々を捨てることは

まだ 気持ち的に無理だ。

まだ 守り続けたい。その世界に包まれていたい。

 

旅行もしなくていい

外食もしなくていい

洋服もいらない

朝 太陽に光が東南から部屋中に差し込み

太陽に光に包まれる

この家で 過ごしたい。

この家で できれば 死にたいと思う。

 

昨年の

10月に心の中で、卒婚を決心した。

 

夫からの自立

精神的にも 経済的にも

夫から自立しなければと・・私の心の準備が始まった。
覚悟して この家に住み続けるための準備。

 

毎月の約12万の家賃のほかに 年金や国民健康保険や税金などの必要経費

そして食費代や交際費と

最低20万は必要・・

毎月、私が払い続けられるのだろうか

 

「いいや・・払い続けるのだ」と

最低20万の生活費を確保するために

今までの仕事の形態を、全て見直した。

 

結婚を誓いあった時

それぞれが 神をみつめ

神に喜ばれる人生を歩もうと・・

お互いが依存しあうのではなく

自立した関係で

お互いを高め合う存在として

生きていこうと・・

私達は結婚した。

 

35年の結婚生活の中で

わたしが やりたいと思う事は

いつも 受け入れて させてくれた夫。

家事も食事作りも何でも 自分でできる夫。

今回の決心も

「頑張るだけ 頑張って

やれるだけ やってみて

無理なら 全て手放して

老いの住処に(僕のところに)くればいい

君の好きに やればいい・・・」と

私の思いを 受け入れてくれた夫・・。

 

今年の3月

夫の荷物の ほとんどが(全部かな?)

この賃貸の家から消えた。

夫は完全に 老いのすみか(都内の家に)に

引っ越しした。

 

それが 私たちの『卒婚』

 

50代・・

『熟年離婚』をする夫婦も多い

100人いれば50代以降の夫婦のありかたも

100通りあって良いのだろう・・。

 

私は 自分の生きてきた足跡(住まい)と

私の愛する仕事である、

子育て支援の講演・イベント活動や性教育などの講演などを

手放すことができなくて『卒婚』を選んだ。

 

私にとって

自分の生きてきた足跡(住まい)と仕事は

50代60代の 私が輝いて生きてゆくための

エネルギーパワーそのものだから・・

 

 

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